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写真家奥谷仁の仕事の紹介など。

魔法

 アキオとはお互いの自宅の方角が同じと言うこともあり、登下校はたいてい二人一緒であった。
 校門を出るとアキオも私も学生服の前をはだけ、平たく潰した制帽を斜めにかぶり、そこそこ不良ぶっていた。もっともせいぜいそこまでが私達の限界だったのだが。
「おい、期末テストの準備はでけたか?」私はアキオに聞いた。
アキオはクラス一の秀才である。
「まあまあじゃな、お前はどうなんじゃ?」
「わしか、わしはさっぱりじゃ」私は正直にそう答えた。
 そんな話をしながら大道から弓町の方へ曲がった時だった。

「すまんが・・・」という声に振り返ると、夕暮れの茜空を背景に一人の老人が立っていた。
薄汚れた洋服とも和服ともつかない不思議な衣服を身につけ、顔は白髪交じりの長い髭で覆われ、髪は蓬髪、足もとは布で出来た長靴のようなものを履いている。いずれもかなり汚い。
「ちょっと危なそうじゃのう」
アキオは私に顔を近づけ耳元でささやいた。

「この辺りに八幡神社はないかのう」
老人は私達の不審そうな眼差しなど気にする様子もなくそう尋ねた。
「八幡さんならこの道をまっすぐ眉山の方に行った所にあるけど」
私は老人に眉山を指さしながらそう教えた。
「そうか、それはありがとう」老人は軽く頭を下げ、足もとの大きな荷物を肩に担ごうとした。
「おっとっと」荷物が重いのか、老人は担ごうとして思わずたたらを踏んだ。
私とアキオは顔を見合わせたが、アキオは目の奥で<あまりかかわるな>と言っているようだった。
私はアキオの目配せを無視して老人の荷物に手をかけ
「おじいさん、それ持ってあげる」と自分の背中にしょった。
大きな布の袋に入った荷物は中学三年生の私にもずっしりと重く、結び目が肩に食い込んだ。
「おおすまんのう」老人は前歯のない口を開けて笑った。

「おまえ大丈夫か、こんなおじんに付き合って」
アキオが真顔で耳打ちした。
「しゃあない、乗りかかった船じゃ。ほな、明日な」
と次の四つ角でアキオと別れた。
 八幡神社に続く道を老人と並んで歩いた。荷物はますます重くなってくるような気がする。
「重いですねえ、何がはいっとるんですか」
「まあ、わしの全財産ちゅうところかな」
と笑いながら言った。

 八幡神社の入口には石造りの鳥居と随臣門と呼ばれる江戸中期に建てられた古い門がある。
「おじいさん、どこまで運びますか?」
門をくぐれば眉山の山麓である。この先には神社の本殿があるだけだ。
「おお、すまんのう、中まで運んでくれるか」
「中までって・・・本殿までですか?」
「ああ、そうじゃ。いやぁ、まったくこの石段がきつくてのう」
本殿までは二十段ばかりの石の階段を登らなくてはならない。
いったい、本殿に何の用があるんやろか・・私は不思議でならなかった。
とにかく老人の言うとおり荷物を担いで階段を登った。
荷物の重みは耐え難いくらいになっている。
-くそっ、アキオの言うことを聞いとけば良かった-
私は心の中で後悔をした。
歯を食いしばって石段を登った。
やっと急勾配の石段を登り切り本殿の前に出た。
私は最後の段を登るとその場に倒れ込んだ。荷物を放り出し、あえぐように肩で息をした。

「いやぁ、ありがとう。それにしてもお前はずいぶんと親切な子じゃな」
老人はずっと変わらない笑顔でそう言った。
その笑顔につられ、先ほどから気になっていることを尋ねた。
「この袋の中は何がはいっとるんですか?」
「これか?」
老人はいとも簡単に袋をたぐり寄せた。
え!狐につままれるとはこのことだろう、あれほど大きく重かった袋が今はまったく何も入っていなかったようにしぼんでいる。
「ど、どういう事ですか!」
私は老人を見た。

ここはまったく人気のない山麓の神社の境内である。辺りはすっかり暮れなずんで、ねぐらに帰る鳥たちの鳴き声が山にこだましている。
それなのに私には老人の姿が暗闇の中でもはっきりと見えるのだった。
私は座り込んだまま後ずさりをした。
「おじいさんはいったい・・」
「ははは、気がついたか、怖がらんでもええ、わしはこの八幡神社の主じゃよ」
とケラケラと笑った。
「え!と言う事は神様?」
私はずいぶんと間抜けな声を上げてしまった。
なんだ、お化けは怖いが、神様だったらちっとも怖くない。
なるほど本殿を背に老人の姿が空中に漂いながら光っている。
「そうかあ、神様が本当にいるとは思わなかったなあ」
としげしげと老人の顔を眺めた。
「こらこら、神様の前であるぞ、もう少し神妙にしなさい」
そう言えば先ほどの小汚さは薄れ、どこから見ても立派な神様である。

「さっきはわしを助けてくれてありがとう」
神様は芴を構え直し、かしこまってそう言った。
「いえいえ、しかし神様なら早くそう言ってくださいよ」
「いや、最近の若者は油断がならんけんな、わしが神様だと知ったらなにゆうてくるかわからん」
と阿波弁丸出しで私に弁解した。

「そこでじゃ、わしの感謝の印にこの鉛筆をやろう」
と袖から一本の使い古した鉛筆を取りだした。
「え、鉛筆でっか、それも使いかけの・・」
あの重い荷物を持ってあげた礼がこの鉛筆とは。
「まあ、神様からもらうんやったらなにか御利益があるんでしょうなあ」
私は‘すが目’に構えて神様を睨みつけた。
「当たり前じゃ、この鉛筆はな、魔法の鉛筆なんじゃ」
「魔法って、まるで西洋の話みたいでんな」
「うるさい、とにかく聞け」
「へっ」
「この鉛筆でな、お前の欲しいものを紙に書けば、たちどころにお前の手に入るという凄いものじゃ」
「それはすごい!」
「ただし、効力は一度きりじゃ」
「え、たった一回ですか」
「なんじゃ、文句あるんか」
「いえ、わかりました。ありがたくいただきます」
私は押し頂くようにして鉛筆を受け取った。
「ええか、一回だけじゃぞ・・・」
一瞬、稲光がしたかと思うと、次の瞬間、神様の姿はどこにもなかった。

 神社からの帰り道、いつどうやってこの鉛筆を使おうか考えた。
まだまだ人生、先は長いのである。
「うーん、いつ使えばいいかなあ・・」

私は帰宅するなり自分の部屋に飛び込んだ。
早速、勉強机の上に半紙を置き、おもむろに魔法の鉛筆を取りだした。
そして半紙に向かってしっかりとした筆跡でこう書いた。
『この魔法の鉛筆を十本下さい』
                   終


「どや、この話は」
「うーん、落語みたいでおもろいけど、ちょっと芥川龍之介の焼き直しじゃな」
下校途中、アキオは私のノートを読みながらそう言った。
私とアキオは「創作帳」と称する交換ノートをつけていた。かわるがわる「小説」を書いて批評しあうのである。

「そうかあ、そういやそんな短編があったなあ」
などと話をしながら大道から弓町の方へ曲がった時の事である。

「すまんが・・」
という声に振り向くと、暮れなずむ街角に大きな袋を持った、ひげ面の老人が立っていた。



  1. 2012/05/11(金) 23:40:00|
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男の子、父親

 午後から自習になった事があった。
先生のいない教室では何となく浮ついた雰囲気が流れ、委員長のツヨシの制止も聞かずみんな私語にふけっていた。
「あ、なんか落ちてきた」
窓の外を眺めていた誰かが大きな声でそう言った。
「おお、ビラや、ビラまきの飛行機や」
指さす先には小さなセスナが一機、風にあおられつつ、ぐるぐると町の上を旋回している。スピーカーからはエンドレステープに録音されたセールの案内が降り注いで来る。
 そのうちの一枚が風に乗って開け放たれた窓から教室に流れ込んできた。
六年生と言えどもそれだけでわいわいと大変な騒ぎである。

「うるさい!なにしとるんじゃ!」
教室の引き戸が乱暴に開かれ、赤鬼とあだ名のある赤根先生がまさしく鬼の形相で入って来た。教室は一瞬にして凍りついた。
「委員長は誰や、出てこい!」
ツヨシが蒼白になりながら赤鬼の前に出て行った。
「僕です・・・」
「お前か、自習時間は遊びやない!」
と怒鳴ったかと思うとバシッバシッと顔面に平手打ちをくれた。
私達が子供の頃、教師の体罰は当たり前の事であった。

 翌日、教室に入ると顔を腫らしたツヨシがいた。
「どうしたんじゃ、まだ赤鬼のビンタがきいとるんか」
私は真っ赤になったツヨシの頬をさわった。
「いてて、さわんなや。まだ腫れとるんやから」
ツヨシは私の手を払いのけながら
「昨日、家に帰ったらな、父ちゃんがわしの腫れとる顔を見てびっくりしよったんじゃ」
「うん、それで」
「いったいどうした?って聞くから『先生に張られた』ってゆうたんじゃ」
「そしたら?」
そうしたらいきなり
「先生に張られるって言うことはお前が張られるような悪いことしたからじゃろう!」
と、今度は父親に往復ビンタをくらわされたらしい。
「そりゃ、気の毒なことじゃったな」
私はおかしさをこらえながらツヨシの腫れた顔を眺めた。

「あれ?ユタカは?」
給食当番だったタモツが空いたユタカの席をさして聞いた。
給食の時間になっても後の席のユタカの姿が見えない。
「あいつ、またゲンジにやられとるんと違うか?」
タモツが眉をひそめて廊下の方を見た。
ゲンジというのはクラス一の乱暴者で、体格も大きく何かとクラスの邪魔をする問題児であった。
 特に眼をつけられたのはユタカである。
ユタカには少しだけ障害があった。動作が遅く、話すことも得意ではなかった。
 ゲンジは何かにつけユタカに暴力を振るっては泣かせていた。先生の前では良い子ぶり、陰で弱い者をいじめる、というまあ、どこにでもいるいじめっ子である。ただゲンジの場合ちょっと度が過ぎる嫌いがあった。
「ちょっと、見てこようか」
タモツと私は廊下の突き当たりまで見に行った。案の定、ゲンジの側にユタカがうずくまり泣いていた。
「どうしたんや」
タモツが近づいたが、ゲンジの
「なんや、おまえらには関係ないこっちゃ」
とドスのきいた声で脅されると、私は怖くてそれ以上何も言えなくなった。
ゲンジはユタカを振り返り
「ええか、あんまりええかっこするからこんな目に遭うんじゃ」
ゲンジはユタカの新しい帽子に難癖をつけたようだ。
真新しい青い帽子を手にするや、思い切り引き裂いた。
「ああ、母ちゃんがこうてくれたばっかしやのに」
ユタカは声をひそめて泣きながら破れた帽子を抱きしめた。

 その時である、私の隣から黒い影が飛んだと思ったらタモツがゲンジに体当たりをした。
 あまりの素早さに私もユタカも呆然とするばかりである。
ガツン、ガツン、という音と、痛い痛いと言う声が数回聞こえた。そしてヒイヒイと言うゲンジの泣き声が廊下にこだました。
 壁際にもたれかかり、鼻から血を流しながらめそめそと泣き続けるゲンジの前には、興奮冷めやらぬといった感じのタモツが拳を握りしめてゲンジを見下ろし立っていた。

 その日の夜、学校からの使いだと言う人が家に来て父に何かを告げた。
「ちょっと、学校に行ってくるわ、何か事が起きたらしい」
背広に着替え出て行く父を送りながら、きっとタモツとゲンジの事に違いないと思った。

 深夜に近い時間に父は帰宅した。
「なにやった?もしかしてタモツのこと?」
玄関の上がりがまちにに立ったまま私は父に尋ねた。
「ああ、そうやった。お前もそこにおったんやって」
「うん、ゆうとくけどタモツは悪うないよ、ゲンジが悪いんや」
必死で父にそう言った。
父は母の差し出す和服に着替えながら
「そんな事わかっとるよ、お前は心配せんでええから」
と言って私を見た。

 それから食卓に座り、ビールを飲みながら今夜の事を話してくれた。
というより何かに感動して一人でしゃべっているといった感じだった。

 父が職員室に行くとすでに数人の父兄が集まっていた。
校長、教頭、担任の植原先生を中心にタモツとタモツの父親、ゲンジとゲンジの父親が対峙するように向かい合っていた。
「こんなに顔を腫らして、唇は切れているし、鼻血も止まらん。こんな怪我をさせてどういうこっちゃ!」
まずは謝れ!とゲンジの父親はゲンジの顔をみんなに見せるようにして怒鳴っていた。
タモツは腕組みをしたまま黙っている。
先生方もタモツに
「怪我をさせたことは謝らないかんぞ」
「謝れ」「そうじゃ、とにかく謝れ」
と盛んにタモツに迫った。
それでもタモツは口を真一文字に食いしばったまま何もしゃべろうとしない。
ゲンジの父は怒鳴り散らすし、先生方もほとほと苦り切っていた。
 みんなの様子を見ていた父が
「とにかく、タモツ君の言い分も聞いてみましょう。私はタモツ君をよく知っていますが、むやみに暴力を振るうような子ではないと思う。話を聞きましょう」と間に割って入った。

「さあ、タモツ君」
父のうながす言葉でやっとタモツは口を開き始めた。
ゲンジが日頃からユタカをいじめていること、今日の喧嘩の原因はお母さんが買ってくれた新しい帽子をゲンジが引き裂いたこと、食いしばった歯の間だから少しずつ嗚咽が漏れ始めた。
話が続くにつれて職員室は水を打ったように静かになった。
タモツの訥々とした話し声だけが続いた。

 突然、
「わかった、もうそれだけ言えばいい」
今まで一言も発していなかったタモツの父親が絞り出すような声を上げた。

そしてタモツの方に向き直りにっこりと微笑んだ。
「おれはお前をそういう男に育てたかった」
と泣きじゃくるタモツの肩に手を置いて一言いった。

「あとは大人達で解決するからお前は心配せずもう家に帰りなさい」
とタモツをうながした時だった。
ゲンジの父親がいきなりゲンジの首筋を掴むと
「このガキャア、お前が謝れ!」
と言ってゲンジの頭を床にこすりつけた。
そして、泣きわめくゲンジに「泣くな!」と怒鳴りつけたあと、
「申し訳ない、そんな事情とは知らなくて、悪いのはこいつです」
と二人で床に土下座した。

「親をやるのもたいへんなこっちゃ」
父はにじむ涙をごまかすためか、グラスを持ち上げながらおどけるようにそう言った。



  1. 2012/05/11(金) 11:09:08|
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掲載誌

掲載誌ブログ用  カバーa

「ソウル・バンコクびっくり屋台うますぎ横丁」がこんなにも取り上げられました。
「読売新聞4月24日家庭欄」「dancyu5月号」「あまから手帳5月号」「MAQUIA6月号」「CanCam6月号」「JAL機内誌スカイワード5月号」「エクラ6月号」「日刊スポーツ」など。
皆様ありがとうございます。
なお、集英社では図書券の当たるキャンペーンもやっております。振るってご応募ください。
http://www.s-woman.net/books/2012present/





  1. 2012/05/11(金) 10:55:25|
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なみだ道

 眉山の山麓、市内の南の外れに二軒屋という町名がある。
 私は子供の頃から何となく、うら寂しい町名だなと思っていた。町の外れに二軒の家がぽつんと建っていて、暗闇の中に二つの明かりだけが灯っている・・そんな風景を想像していたからだ。
その上、眉山の原生林に覆われた山麓には古い神社や寺が多く、そのせいか街並みにもどことなく陰気な雰囲気が漂っていた。
 
 その二軒屋に同級生のヨシオの家があった。彼の家はこの地で代々続く古い商家であり、百年は経ったかと思われる古い家は、板塀と言わず窓の格子まで丹念に磨き込まれ、それなりの風格を感じさせていた。

「ほな、さいなら」
私はヨシオの家の格子の入った玄関の引き戸を開けながら挨拶をした。
外はすでに陽が落ちて、町はすっぽりと眉山の影に覆われている。
何の用事だったか思い出せないが、初めてヨシオの家を訪ねた帰りだった。
「おう、ほなら明日学校でな」
ヨシオはわざわざ玄関の外まで送ってきてくれた。
 玄関から夕暮れ時のこの街並みを眺めてみると、格子戸と黒い瓦の古い家並みがぼんやりと続き、ちょっとした時代劇映画のセットのような雰囲気である。
「へー、なんやら面白そうな所やな」
「何が?」
「このあたり」
「ああ、戦争で焼け残った古いところやけんな」
ヨシオは中学生とは思えない老人のような言い方をして一緒に暮れなずむ家並みを見渡した。
 私はヨシオの家を出た後、しばらくこの辺りを散策してみようと家並みにそってぽつりぽつりと歩き始めた。
石を組み上げた塀や、板塀が続いていたり、竹矢来の奥には情緒ある格子戸の玄関がのぞいていたり、すでにぽつりと玄関に明かりが灯り始めている家もある。眺めて歩くだけでもなかなか楽しい。

 そのまま歩き続けていると、後から私を呼ぶ声と共に下駄を鳴らしてヨシオが息を切らせて走ってきた。
「おまえ、この先に行ったらあかんぞ」
ぜいぜいと息を弾ませてヨシオは真剣な顔でそう言った。
「え?なんで」
「なんでもや、ええか、この時間、この先の『なみだ道』の方へは絶対に行くなよ」
「『なみだ道』?そりゃなんや?」
ヨシオは私の顔をまじまじと眺め、呆れたように
「なんじゃ、お前しらんのか」
と言った。
説明しかかったのだが、ヨシオは急に辺りの気配を気にするように口を閉ざした。
「ええから、わかったな。絶対やぞ」
ヨシオはそれだけを言うとまた下駄を鳴らして帰っていった。

 その夜、夕餉を囲んだとき私は母に尋ねた。
「なあ、二軒屋の『なみだ道』ってしっとる?」
「え、なみだ・・あ、ああ聞いた事あるねえ」
母はなぜだか言葉を濁しつつ台所にたった。
 和服の前をはだけ、ビールを飲みつつ新聞を読んでいる父にも尋ねてみた。
「『なみだ道』・・まあ、しっとるけど、どうせくだらん怪談話やろ」
父は思わぬ事を口にした。
「え!怪談?ほんまかいな」
「わしも行ったことはないけん、どうなんかわからん」
父の話も要領を得ない。
 みんな何かを知っている様子だが、なぜか「なみだ道」の事には触れたくない様子だった。

 「なみだ道」のことは気になりつつも、それより数ヶ月後に迫った高校受験の方がより気になり、そのことは徐々に忘れてしまった。

 翌年、私は高校一年生になった。
 私の高校は眉山の南端をぐるりとまわった麓にあり、自宅から高校までの間に二軒屋のヨシオの家の前を通るわけだ。
 私を含め生徒のほとんどは自転車通学である。
 ある日、私は寝坊をしてしまい朝食もそのままに家を飛び出した。
自転車を必死に漕いで学校に向かっていると、同じく寝過ごしたのだろう、自転車を飛ばして学校に向かっている同級生のアキオと出くわした。
「おう、遅刻か?」
「ああ、ギリギリやな」
そうして二人で二軒屋にさしかかった時、山麓に沿って斜めに入る細い道が眼に入った。方角的には学校の方である。
「おい、あそこの道に入ったら近道と違うやろか?」
私は額から流れ落ちる汗を拭いながらアキオに顎で示した。
アキオはその道の入口を見たとたん
「アホか、あそこは『なみだ道』の入口やんか、行けるわけないやろ!」
と血相を変えた。

 その日の昼休み、私はアキオを呼び出した。
「朝、お前がゆうてた『なみだ道』ってなんや?」
アキオはその質問にちょっと驚いた顔になり、それから辺りの様子をうかがうようにしたあと小声で
「お前、ほんまに知らんのか」
と言った。その格好がいつかのヨシオとまったく同じだったので少し可笑しかった。
「ああ、知らん」
「おしえたるけん、ちょっとこっちへ来い」
アキオは校舎の二階の踊り場に私を連れて行った。
「あそこにちょっとした岩場が見えるやろ」
眉山の外れのこんもりとした小山を指さした。
「ああ、何か建物が見えるな」
「そうじゃ、あれは寺じゃ」
「へー、知らんかった」
「寺とゆうてもいまじゃ檀家も住職も誰もおらん廃寺じゃな」
アキオは両腕を組み、私の顔をのぞき込みながら額に皺を寄せた。
「『なみだ道』はな、途中で二つに分かれていて一本はあの寺へ続く道でもあるんじゃ」
 
 そうやってアキオは「なみだ道」について語り始めた。
 昔、貧しくて葬式を出せない人達や、身元不明の亡骸をあの寺に運びこみ葬った話や、行き倒れになり寺に葬られた悲しい巡礼の話などを聞かせてくれた。
「そうかあ、それで『なみだ道』ってゆうんか・・」
私はアキオの話にしんみりとしながら聞き入った。

「ここまで話したらわかるやろが」と言葉を切って
「出るんじゃ、これが」と両手を胸の前でぶらぶらさせて幽霊の格好をした。
「あほ、やめんか、気色の悪い」
私は本気でアキオの手を叩いた。
「まあ、わしも幽霊を見たわけじゃないけど、実際に火の玉を見た奴は何人もおるぞ」
と、さらに小声で重大な秘密を打ち明けるかのようにそう言った。
「とにかく通らんこっちゃ‘触らぬ神に祟りなし’じゃな。特に夕暮れ時に足を入れたら絶対にいかん、と言われとるな」
おーこわ・・と言いながらアキオは階段を下りていった。

 そうなると返って気になるものである、授業中もつい窓から山の方をぼんやりと見ていることさえあった。
 数日後の土曜日、下校時の自転車置き場でアキオに声をかけた。
「おい、帰りに『なみだ道』通ってみいへんか」
アキオはぎょっとした顔をして
「なにゆうんな、祟りがあったらどないするんじゃ」
「そやかて今は真っ昼間やんか、お化けも休んどるじゃろ」
「わしは嫌や、お前一人で行け」
などと、すったもんだしたあげく、渋々アキオもついてくる事となった。

 校門を出て山麓を回り込むように進むと細い路地のような道を見つけた。
「ここが『なみだ道』の入口じゃな」
自転車から降りて路地の入口をこわごわのぞき込んだ。
 太陽は真上にあると言うのに、山肌から伸びている木々の葉陰になって、道はどこまでも薄暗い。左側は切り立った山の斜面になっていて雑草が生い茂っている。右側にはなにやら資材置き場のようなものが連なっているが、どの小屋も雑草に覆われていて使われている形跡はない。
「なんやら気味が悪いなあ」
「ほなからやめとこってゆうたのに」
入口を数メートル入っただけでこの有様である。二人とも腰が引けている。

「うわっ!」
 突然アキオが悲鳴を上げた。
そして震える指で山陰の薄暗い野原を指した。
その先にあったものは無数の墓石だった。それもほとんどの墓石は崩れ落ち、
いくつかの苔むした墓標が恨めしげに草むらの中からこちらを睨んでいる。
 その崩れた古い墓の様子と言い、倒れた墓標と言い、思わず背筋が凍りつくほどの不気味さである。
 昼間だというのに辺りは妙に静まりかえり、隣を走っている大道の騒音さえまったく聞こえてこない。
 二人は水溜まりを避けながら無言で自転車を押し『なみだ道』を進んだ。
崩れた墓地はどこまでも続いている。まるで私達を引き込もうと追いかけてきているようでもある。
 アキオの顔は蒼白だ、きっと私も同じ顔色をしていることだろう。
突然、頭上を覆っていた枝から数羽の烏が奇妙な声を上げて飛び立った。
「うわー!」アキオと私は同時に自転車に飛び乗り、ぬかるんだ細い道を必死で漕いだ。

 どこをどう走ったか覚えていない。目の前が急に明るくなると同時に広い通りに飛び出した。走って来た車が私達に驚いて急ブレーキをかけたが、それすら気付かないほどだった。

 それから数十年後、私は甥の運転する車の助手席に座り、二軒屋の辺りを走っていた。
 町は私の高校生の頃とすっかり様変わりし、広がった道路脇にはファミレスや、ファッションビルなどが林立している。暮れなずむ街にネオンサインがまたたき始めた。

「ありゃ、渋滞しとんなあ」
甥が一人ごちている。
「あ、あそこに抜け道があるわ、あっちに行ったろう」
と言うなり右にハンドルを切った。
 私は「あっ!」と気付いた。そこが「なみだ道」への入口であることに。
私が何か言い出す前に甥はずんずんと「なみだ道」に入っていく。
私は思わず眼をつぶった。あの時の光景が浮かんだからだ。
「やっぱりこっちの方が空いてたな」
甥は鼻歌を歌いながら運転している。
そっと眼を開け、窓の外を眺めてみた。山麓を走る薄暗く細い道は相変わらずだが、綺麗に舗装され、まわりの雑草も刈り取られて「なみだ道」の面影はまったくない。
 突然、車が止まった。どうやら道路の舗装が剥げて陥没し、かなり大きな穴が開いているらしい。
「ちょっと待っといて」
甥は車を降り、草むらからいくつかの大きな石を拾い上げ、無造作にその穴に蹴り込んだ。
「これで大丈夫や」
走り出した車の窓からその石を見たとき、私にはそれが古い墓石の一部であることはすぐにわかった。



  1. 2012/05/07(月) 23:02:35|
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敦子

 池泉回遊式庭園で有名な巌龍寺は眉山の山麓にある。
 山肌の少しくぼんだ場所にあるせいか、今朝の新しい光はここまで差し込んではいないようだ。
 山門をくぐった時、寺は薄墨の世界に沈んでいた。

「少し、早すぎたか」
私は本堂へと続く石段を踏みしめながら思った。
石段を登り切った所に古い鐘楼があり、その前に人影があった。
どうやら竹箒を持っているところを見ると寺の住人が朝の掃除をしているところなのだろう。
 その時、やっと山の端を越えた太陽が庭の竹林を通り抜け、朝の爽やかな木洩れ日となりその人影から影をぬぐい去った。

 古刹にふさわしく、和服姿の女性が手慣れた手つきで箒を動かしている。
「おはようございます」
私は相手を驚かさないよう慎重に声をかけた。
「あ、おはようございます。ご苦労様です」
彼女は手を休めて私の方に向き直り、頭の手ぬぐいを取りながら丁寧な挨拶を返してきた。どうやら檀家の墓参りだと思ったようだ。
「お庭を拝観したいのですが、早すぎたでしょうか」
と言いかけて相手の顔を見た私はどきりとした。
「敦子・・」
この寺に寄ろうと思ったとき、私の心の中に一つの期待があった事は間違いない。もしかしたら敦子に会えるかもという・・。

敦子と私は高校の同級生だった。

「ねえ、日曜日家で練習せえへん?」
「そうじゃなあ、おまえのところやったらわしのへたくそなペットでも迷惑にはならんじゃろ」
私達はオーケストラ部に所属しており、私はトランペット、敦子はフルートを受けもっていた。

 敦子の家は市内でも屈指の古刹である巌龍寺である。江戸初期、初代だか二代だかの藩主肝いりで開山したという歴史があり、眉山のすそ野に広がる広大な境内には重文である三重塔をはじめ、県内有数の文化財がそこかしこに並んでいる名刹でもある。

 日曜日、私はトランペットを入れたケースを抱えて巌龍寺を訪ねた。
山門から長い石段を登って本堂の裏をまわり、竹林を抜けたところの離れ家が住職一家、つまり敦子の家族の住まいなのである。
「まったく、えらい遠いのう」
私は汗をハンカチで拭きながら迎えに出てきた敦子に文句を言った。
「なにゆうてんの、私なんか毎日これを通って学校にいっきょんやからね」
「これじゃあ自分の家で行き倒れになるちゅう感じやな」
「ちがいない」
二人で大笑いしながら玄関にはいった。
「まあ、まあ、仲のおよろしいこと」
敦子のお母さんが出てきて私達をからかった。

「山の方へ行こうか」
私と敦子はそれぞれの楽器と楽譜を手に裏山へと続く長い階段を上り始めた。
およそ百段も登っただろうか、息が切れて座り込みそうになる頃、小さな平地に出た。
「ここは昔、五重塔があった所なんよ、今は跡形もないけどね」
その名残だろうか、大きな礎石がいくつか並んでいる。
私達はその上に腰を下ろした。
山麓から吹き上げてくる風が心地よい。眼下には市内の家並みが広がり、遠くに海のきらめきがはっきりと見える。
「ええとこじゃなあ」
私は心から感嘆の声を上げた。

 楽譜を広げそれぞれのパートの練習を始めたが、お互い主旋律を受けもつ楽器ではないためどことなく間が抜けている。
「なんやらパートだけの練習って今ひとつ力が入らんな」
「そんじゃあ、私が口でバイオリンをやるから吹いてみて」
敦子はそう言って立ち上がり、主旋律を歌うように口ずさみ始めた。
指揮をするようにフルートを握った手を振り、額に汗をかきながら敦子は一生懸命歌っている。やがて私のパートがやってきた。
私はマウスピースにしっかりと唇を当て、海まで届けと思い切り吹いた。
トランペットの大気を突き破るようなハイトーンが山肌を伝って町の方に流れた。
 練習はうまく行き始めた。

 私の頭の中ではフルオーケストラが奏でる曲が鳴り響いている。
きっと敦子の頭の中でも同じはずだ。
二人の頭の中では全ての楽器がそろい、見事なアンサンブルを奏でているはずだ。
 敦子は飛び散る汗をぬぐおうともせず、手を振り歌いつづけ、時々フルートを吹き、トランペットの入るところでは指揮者と同じようにアイコンタクトを送ってくる。
「ジャン、ジャンカ、ジャン・・・」
「ウン、ウン、ズチャズチャ・・」
わけのわからない言葉を次々と発しながら曲は進んでいく。
私もパートを外れた所では
「ジャンジャカ、ジャカジャン、ンパ、ンパ・・」
と一緒になって旋律をわめいた。
 やがて曲は終盤のクライマックスにさしかかってきた。ここはトランペットの聞かせどころである。私は目の前に出現した客席に向かってこれでもか、と言うくらい力を入れて吹いた。

しばらく二人は息を弾ませながら見つめ合っていた。
敦子は両手を膝に当てたまま息を荒げ身体を曲げて私を見つめている。額から汗が滝のように流れ地面に吸い込まれた。
 そのくしゃくしゃの髪、汗まみれの顔、じっと私を見つめる黒い瞳。
私はその顔を美しいと思った。
 「ブラボー!ブラボー!」
突然、敦子は両手を挙げて万歳をし、私は立ち上がり、さも客席に向かってするようにお辞儀をした。

 太陽が海の方に傾き、風が吹いてきた。
汗に濡れたシャツが乾き始めると同時に身体が冷えてくるのを感じた。
曲が終わり、敦子と私は放心したように礎石の上に背中を合わせたままずっと座り込んでいた。何も語らず、手にはトランペットとフルートを握りしめ、ただただじっと座り込んでいた。
 遠くの海はすでに夕陽に染まり始めている。町には山の影が覆いかぶさり、どこの家でも夕餉の支度がそろそろ始まる頃だろう。

「そろそろ帰らんとな」
私はぼそりと言った。
「もうちょっと一緒にこの景色を見ていたい」
敦子が遠くの海を見ながらそう言った。海の上にまたたき始めた一番星を見ていたのかも知れない。
 

 「敦子・・だよね」
私の呼びかけに相手はぱっと顔を輝かせた。箒を投げ捨て、そしてまっすぐに私の顔を見た。
大きな黒い瞳、まさしく敦子の瞳だった。
 高校卒業後、敦子は地元の短大へ、私は東京の大学へと別れてしまったが手紙だけは頻繁にやりとりをしていた。しかしある日を境にぴたりと手紙は届かなくなってしまった。そして敦子が結婚をしたという話を風の便りに聞いた。

「うれしい、やっと会えたのね」
敦子は私の腕をとって自分の胸に押し当てた。
しばらくじっとそのままの姿勢を崩さずにいたが、弱々しい声で語り始めた。
「私はね、一人娘やからお寺を継ぐためには婿養子をとらなあかんのよ」
そして顔を上げ、あの黒い瞳で見つめながら続けた。
「どうしてもあなたにそれが言えなくて、とうとう最後まで言えなかった・・」
私は敦子が何を言っているのか良くわからなかった。

「まあ、昔の事だから今さら仕方がないよ」
どこか彼女との会話に齟齬を感じながらそう言った。
「ううん、本当に好きやったんはあなただけなんよ、信じてね」
敦子の必死の形相に私は戸惑った。なぜ、何十年も前の話を一生懸命するのだろう。
その時、はっとした。
そう、二人のことは何十年も前の話じゃないか、しかし私の目の前にいる敦子はどう見ても二十歳そこそこにしか見えない。これはいったいどういう事なのだろうか。

「敦子・・・」

突然、目の前の敦子が怪訝な顔をした。
「敦子は私の母ですけど・・・」
「え、な、なんですって」
私は辺りをきょろきょろ見回した。
「母のお知り合いなんですか?」
と言いながら不思議そうに私の顔をのぞき込んだ。
「は、はい、高校の同級生です」
「そうでしたか、せっかくですが残念です、母は一昨年亡くなりました」

私は全てを理解した。

そして彼女に頼んで裏山に登らせて貰った。
遠くに輝く海も、緑深い眉山も、少しだけ高い建物が増えた町も、あの敦子と眺めた景色とまったく変わっていなかった。




  1. 2012/05/01(火) 04:49:12|
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奥谷 仁

Author:奥谷 仁
女性誌を中心として料理、旅行、インテリア、宝石、タレントなどの撮影をしています。海外の取材が多く特にフランスはライフワークとして食事をテーマに通い続けています。

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